ネガティブをポジティブに変換してみる
わたしはとてもネガティブなんですけど、今日は頑張ってポジティブに物事を捉えてみようと思って、ネガティブ→ポジティブに変換してみたので暇だったら聞いてください。
最近頭の中をぐるぐるぐるぐるしていたのは、好きな人と恋人同士になったら恋人同士になる前よりも扱いが雑になってない?っていうこと。
返信が遅くなったり、その内容がなんか素っ気なかったり、通話してても前ほど長電話じゃなくなったりってなってくると
「付き合ってみたらなんかちがうかもって思われちゃったのかな」ってネガティブな考えになるんです。
実際に恋人同士になってからそう思われても仕方ないようなこともあるので、これは本当にそうなのかもしれませんが、そんな風にネガティブでいるとどんどん悪い方へいってしまうので、今日はポジティブに変換してみました。
返信が遅くなったり、素っ気なかったり、長電話しなくなったりしたのは、わたしの存在が「他人」から「恋人」になったからで、それまでは無理をしていたけれど、これが本来の彼のペースで、無理をしていないちょうどいい在り方なんだっていう風に考え方を変換してみたんですけど、どうですかね。
わたしが恋人に対してすごくベッタリしてしまうのと同じように、彼にも恋人に対しての距離の取り方があるんですよね。
ネガティブな考え方だと、「付き合う前はもっとちがったのに…」「付き合ってみたら嫌になっちゃったのかな…」って悪い方に気持ちがいってしまいますが、ポジティブに捉えてみると、「他人から恋人に変わったのだから、そりゃあ変わるさ」ってなんとなく納得できたような気がします。
無理をされるよりもいいですよね。
ネガティブ→ポジティブ変換、頑張ってみます。
ちゃんと考えて選ばれたい
わたしは物事をじっくりとよく考えるってことがあまり出来なくて、何事も見切り発進しがちです。
自分には無いものに惹かれてなのか、これまで好きになった人は何でもじっくり考えてから行動する慎重な人が多くて、そういう部分が本当に尊敬出来るしステキだなって思うんです。
一緒にいて、わたしが何も考えずに突っ走ってしまっても、ちょっと待ちなよって止めてくれる安心感もあります。
なのに矛盾するけど、しっかりと物事を考えられるっていうことは、ふとした時にわたしと恋人同士で居ることに疑問や難しさを感じたり違和感を覚えたりしてしまうんじゃないかって思って、考えるのを辞めてほしいって気持ちにもなるのです。
わたしはいい感じの相手が出来るとすぐに恋人になりたくなってしまうので、デートを重ねて「本当にこの人のことが好きなのか」みたいな吟味の時間を持てなくて、相手にも考える時間を与えないくらいの勢いで押します。
それは自分が待てないっていうのもあるし、よく考えてみたら「中身が無くて、面倒で、メンヘラじゃん」ってわたしの良くない部分を隠し切れなくなって、いいかもって思ってたのは気のせいだったってことに気付かれちゃうんじゃないかっていう不安もあったりします。
付き合ったらバレるんだから一緒じゃんって思うし、その通りなんですけどね。
何も考えてない人が好きなわけではないけれど、ちゃんと考える人に選ばれる自信がなくて、いつも勢いだけでどうにかしようとして、よくないですね。
よく考えたら好みじゃないなぁ
考えてみたらそんなに好きじゃないかも
どうしてこんなに面倒な人の相手をしているんだろう
自分勝手で我儘で疲れるなぁ
この先もずっと一緒にいるのは難しいかもな
そんな風に思われているんじゃないかって、そんなこと考えないでって思ってしまうのです。
でもさっきも言ったけれど、どうしたって気付かれてしまうことだし、勢いでどうにかなることじゃないし、やっぱりわたしはしっかりと考えられる人が好きだなぁってなってしまうので、ダメなところをどうにかして、ちゃんと考えて「それでもやっぱりあなたがいいよ」って選んでもらえるようになるしかないんだなって思います。
いつだって好きな人に選ばれたいし、選ばれるような人になりたい。
嗜好品との付き合い方
訳も分からない不安な気持ちに襲われたとき、みなさんはどうしますか?
わたしはそんなとき、アルコールを飲んだり自慰行為をしていました。
そうすると頭がふわっとなって、不安な気持ちが薄まって、快楽が手に入って、それとあとは少しの寂しさが残ります。
アルコールはそれほど強くないので缶チューハイ1本でも、気持ちよく楽しい気持ちになれるので 飲み過ぎてしまう とか、もっと若い時にはそんなこともありましたけど今はなくて、自分的にはアルコールとは上手に付き合えているのではないかと思います。
自慰行為は一時期、「これはちょっと依存しているのではないか」と心配になって、グーグルで性依存のページをいくつも見て、自分ではグレー判定としました。
なので自慰行為で不安な気持ちを解消するのはあまりよろしくないのかもしれないですが、あくまで自慰行為にとどまっているので、不特定多数のパートナーを持とうとかにはなっていないので、どうしようもない不安へのストレスに押しつぶされるくらいなら、人よりもちょっと?だいぶ?多い自慰行為は目を瞑ってもいいのかなと思います。
でも最近、ちょっと厄介なことになってしまって、不安の解消なのかな?心を落ち着かせるために たばこ が加わってしまいそうになっているのです。
別にたばこが悪とは言いません。わたしも4年ほど吸っていた時期がありますし、最近は肩身が狭いでしょうがルールを守っている分には堂々と吸っていいと思っています。
でもわたしは出来ればたばこを吸う生活にはもう戻りたくなかった。というか、戻るべきではないんです。
6年ぶりに吸った1本は、むせるんじゃないかとか、気分が悪くなるんじゃないかとか思ったけど、全然そんなことはなくて、ヤニで少しくらってなるのが気持ちよくって、「あぁ、これはハマるな、やばいな」って思いました。
6年も禁煙期間があったのに、こうもあっさりと体は受け入れてしまうのかと悲しくもなりました。
たばこを吸っていた4年間は、別に不安解消のためとかストレス解消のためとかではなくて、彼氏と一緒になって吸ってたっていうよくあるアレですけど、最終的にはかなりのヘビースモーカーになってしまっていたので、たぶんまた吸うようになってしまったらそうなってしまうんだろうなって思います。
嗜好品はいろいろとありますが、嗜むに止められないのはよくないし、不安解消やストレス解消として依存してしまうのは何でもよくないですよね。
ついうっかり6年ぶりにたばこの感覚を思い出してしまったけれど、またそこへ戻ってしまわないように、己を律するためにここに記しておきます。
マイルールをちゃんと守れ
穏やさのちかくで
わたしは感情の起伏が激しくて、自分のコロコロと変わる感情に振り回されるこの生活が本当にいやでいやで仕方がありません。
わたしの母は、日によって優しいときととても怖いときとがあって、子どもの頃は怖い時のピリピリした空気がとても息苦しくて、心臓がぎゅーってなる感覚がとても苦手でした。そんな時は決まって別の部屋に避難して、どうにか母の目につかない場所でやり過ごそうと、そんな風に思っていました。
そんな母を見ていたので、子どもの頃のわたしは「お母さんのような感情に支配された大人にはなりたくないな」って強く思っていました。
だけど自分が大人になって、どんどん母のようになっていることが、むしろ母以上に感情に支配されているのではないか、という現状がとてもつらいのです。
今の私は、子供の頃になりたくなかった大人です。
きっと一度深呼吸したら収まるようななんでも無いことにもイライラしたり、キツイ言葉を使ったり、何も言わなくても漏れ出るピリピリした空気とか、そういうの本当に辞めたいんだけど、どうやって辞めたらいいのかが分からないんだ。
これは育ってきた環境や遺伝的なものなのか、それともただのわたしの甘えで矯正できるものなのか、と考えていてどうか後者であって欲しいと思うのです。
性格や考え方を変えることは容易ではないけれど、なれるものならばわたしは穏やかな人になりたい。自分の感情をコントロールできる人になりたい。
人からの影響を受けやすいわたしは、ちかくにいる人に似てくるのではないか、と思うのです。
だからわたしは、穏やかな人のちかくに居たい。
穏やかな人と過ごしていると、「些細なことでイライラする自分」がとても恥ずかしくなってきます。
一呼吸おいて「まぁいっか」って思えることが少しずつ増えていって、イライラしたり怒ることすら馬鹿らしくなって、そんな風に偽物かもしれないけれど、穏やかな人になれるんじゃないかって思うんだ。
どうか穏やかさが伝染してくれますように。
もらうをやめたい
わたしは好きなタイプっていうのがよく分からなくて、こんな人が良いなっていうのが無いわけではないけれど、じゃあその通りの人が目の前に現れたら、ステキだなって思うのかと言えばそういうわけでもありません。
そんなわたしが「好きな男性のタイプは?」って聞かれたときに答えてきたのは、いつも「好きになった人が好き」とか「自分のことを好きになってくれる人」でした。
わたしは「この人のこと気になるかも」から「この人のことが大好き、頭から離れない」になるまでの過程がものすごい短期間で進んでいってしまうのですが、「この人のこと気になるかも」になる時には、「相手がわたしに対して関心を持っているか」とか「この人はわたしのことを好きになってくれそうか」とか、自分が好きになった時に相手がちゃんと受け入れてくれそうだって思えるナニカがあった時だけで、後出しなんです、基本的に。
だから告白してフラれたことはほとんど無いですし、何ヶ月とか何年とか長い期間を誰かに片想いして過ごしたことなんてありません。
中学生の頃から彼氏のいない期間っていうのがほとんど無くて、常に自分のことを好きになってくれそうな人を探して、見つけたらすぐにくっついて、だけど上っ面しか知らない同士ですぐにくっつくから ほんとうのわたし に幻滅されちゃうことも多かったです。
わたしは人よりも寂しさに耐性がないのではないか、と思っていて、寂しさを埋めるために男の人に依存するわたしは、自分の持つ寂しい気持ちのすべてをその一人だけにぶつけてしまうから、そんなの相手は耐えられるはずもないのです。
寂しい、こわい、一緒にいたい、居なくならないで、ひとりにしないで、そんな気持ちがいつもあって、好きな人に全部を押し付けてしまって、だけどそれは良くないって分かっている。
きっとみんなは、寂しい気持ちも不安な気持ちも上手に処理出来て、大好きな人と一緒に居る幸せを、幸せだと真っすぐにそう思えるんだろう。
いつでも一緒に居て欲しい
テレビばっかり見てないでこっちを見て欲しい
他愛もない何でもない話をずっとしていたい
分かりやすい好きが欲しい
キスしたり、ぎゅってしたり、カラダを重ねたり、わたしのことを求めていて欲しい
愛情に気付くのが苦手なわたしは、相手から何かをしてもらうことで愛を確かめようとしてしまうけれど、ああして欲しい、こうして欲しいは、相手を疲れさせてしまって、無理させてしまって、わたしの求めていることはただのエゴでしかなくて、それにこたえてくれるのは愛ではなくて、つまりはそんなのは良くない。
ナニカをしてもらって、満たしてもらうことで、そんな風に愛を確かめるのはもう終わりにしたい。
好きな人といる幸せな時間を、余計な感情に邪魔されずに真っすぐに幸せをだと思いたい。
やめてをやめる
どこまでやっていいのかどこまで許されるのかって、その境界線を見つけるのが苦手です。
本心のやめてと、そんなにやめてと思ってないけどとりあえず言っとこうのやめてがあるのが難しいですし、わたしは本心のやめてに気づくのがとても遅いのです。
人が嫌がりそうなことをやめればよいのですが、なんというかわたしはちょっとSっ気があったりして、あとは好きな人をちょっと困らせたりたじたじになってるのとか見るのが好きっていう性癖みたいのがあって、そのせいでやりすぎてしまうこともしばしばなわけであります。
でも、そんなことを繰り返していて気づいたのですが、世の中にはやめてと思っていても「やめて」と言えない人もいるようなのです。
わたしは本当に嫌がっていることはしたくないと思っているので、境界線の見つけられないわたしとやめての言えない人との相性は最悪だと思います。
前にお付き合いしていた人は、たぶんですけど、やめてが言えない人で、これもまた今思えばのわたしの推測でしかないですけど、交際中はかなりのストレスを感じていたのではないかと思います。
そのせいなのかは分かりかねますが、時折もう我慢の限界だと言う感じで、彼がストレスやら怒りやらで噴火状態になることを何度か目撃しました。
それでデリカシーがないっていつも言われていました。
デリカシーってどうやって持ち合わせたらよいのでしょうか。デリカシーをデリバリーできたらよいのになと思います。
デリカシーって必要なんですか。デリカシーってなんですか。
例えばおならが臭かったらくさいって言いたいですし、鼻毛出てたら鼻毛出てるよって教えてあげたいですし、口臭かったら歯磨きしなってアドバイスしたいですし、もしわたしがそうなら身近な人にちゃんと教えてほしいです。
よく知らない人にはそんなこと言わないですし、わたしはすごく仲のいい間柄でもない人に指摘されたら恥ずかしいやらショックやらな気持ちになってしまうので、やはり身近な人に教えてもらいたいです。
わたしはこれからも指摘は続けていきます。
でもやめてと言われたことはすぐにやめられるようにしたいと思ってます。
だからもしそういうことを指摘されたくない場合には初回でやめてほしいことを申告してもらえればと思います。
本当はそれほどやめてほしいと思ってないことだったとしても、やめてと言われたらすぐにやめられるように、「やめて」の3文字に常にアンテナをはっていきていきたいと思います。
ちなみにわたしはそれほどやめてほしくないことにもとりあえずのやめてを言ってしまいがちなので、あわせてそれも頻度を減らしていきたいと思います。
やめては本当にやめてほしいときに残しておきたいですね。
それでは、また。
交通費
前にお付き合いしていた人とお別れする時に、「ただ会うだけでも会いに行くためには交通費だってかかるんだよ」ってそのお金も勿体ないと言うようなことを言われました。
その人の住んでいる場所とわたしの住んでいる場所は、電車で約1時間くらいのキョリで、片道700円くらいでした。
会うときにはわたしが相手の家まで行って過ごして、夜ごはんをどこかで食べて帰るっていうのが定番で、いつも来てくれてるからって夜ごはんのお金はあんまり払わせてくれませんでした。
わたしはそれがすごく嫌で、自分が会いたいから好きで行ってるんだし、趣味も友達もいないわたしはお金を使うのは好きな人といるときくらいだからなんでも半分こでいいのになぁって思ってました。
わたしは好きな人と会うときにはふたりっきりになれる時間が欲しくて、どこかに出かけたりしなくてもよくて、ふたりで家にこもってるだけでオッケー、というかむしろそれが好きなんです。
例えばどこかに遊びに出掛けたとして、そしたらそのお出かけの最後にどうしてもふたりっきりになりたくなってしまうんです。
でもそれって、どちらかの家に行けないって場合にはお金がかかる場所に行かなければいけなくなっちゃうわけであります。
カップルがふたりっきりになりたくて行く場所と言えば、まぁつまりはラブホテルなわけですけど、わたしは好きな人と行くラブホテルは割り勘したい人で、むしろわたしが行きたい場合の方が圧倒的に多いので、相手がそこへ行くことに対して消極的だと「わたしが払うから」ってなってしまうこともあるんですが、半分受け取ってくれる人もいれば、端数分しか受け取ってくれない人もいれば、何も受け取ってくれない人もいて様々でした。
わたしは一般的な女性に比べて、自分からラブホに行こうよってなる頻度がかなり多いと思うので、少なくとも半分は受け取ってもらえる方がいいです。
「会うと毎回ホテル代かかるし、会う頻度減らしたいな」って思われちゃうの嫌だし、わたしが多く払うことでそんな風に思われなければいいなって気持ちなのです。
というか、理想はいつでもおうちデートがいいですね。
ホテル代は男性が出すっていう文化は無くなってしまえばいいと思います。
好き同士で行く場合には、女性も払っていいと思います。
セフレとかはよく分かりません。
それで話は戻りますが、冒頭の彼はわたしにあまりお金を払わせてくれない人で、なのでわたしはその彼とどこかへ行くっていうのはあまりしたくなくて、出来ればいつもおうちデートが良かったです。でもまぁそうもいかなくて、たまに出掛けたりもして、月に2回くらいの頻度で会っていました。
半年ほどしかお付き合いしていませんが、たぶん性格の相性があまり良くなかったので、その間でもちょっとしたことで何度も揉めて、最後に別れ際に言われたのが「あなたと会うために使うお金が勿体ない」でした。
そんなこと言われたくなかったから、わたしはいつでもはんぶんこでいようとしていたのに、じゃあなんでいつも払わせてくれなかったんだろうって気持ちになりました。
わたしはその彼と会うときにはたいてい彼の最寄りまで行っていました。片道700円は安くはないですが、わたしにとっては必要経費で、1時間の電車移動も負担に思ったことはありませんでした。
でもその彼と別れて、1時間かけてわたしのところへ来てくれる彼が出来た時に、わたしは相手に交通費のはんぶんこをしたくなりました。
毎回1時間のキョリの電車移動もだし、交通費も往復でかかるわけで、負担があるわけですから、少しでも軽減できればという気持ちでした。
相手が来ることに対して負担を感じているのか実際のところは分かりませんでしたが、「べつにいいんだよ」とは言いながらも受け取ってくれていたので、来てもらうことに対しての少しの申し訳なさは軽減されました。
それまではあまり気にしてきませんでしたが交通費のことも交際費の予算に組んだ方がいいんだな、ということに気付くことが出来ました。
なんでもはんぶんこ出来たらいいのにな。
それでは、また。